当時、一般市民の間でも紅茶を飲む人は大変少なかった時代。 ロンドンの喫茶店のをそのままマネた外から店の中が透けて見える設計は、なかなか受け入れられませんでした。 また、開店してから3年間、女性のお客様は1人も入っていただけませんでした。 しかし、のちに彼は、喫茶業界のリーダーとして脚光をあびるようになります。
時代は第二次世界大戦へと向かいます。 イギリス製品であるリプトン紅茶は、敵国製品として輸入禁止に、一時的に『大東亜』という戦争にちなんだ店名に変えざるを得ない時期もありましが、戦後は時代も変わり、女性客も増え始めました。 リプトンを真似た同業者さえ出て来たのです。ただ、その頃には、京都では知らぬ人はいないほどリプトンの名前は知れるようになりました。
その頃になると兵蔵は、ラジオ『おいしい紅茶の出し方』についてたびたび出演するようになります。 それは、京都の町で『紅茶』が市民権を得ることにつながり、リプトンの名を確かなものにしていきました。 京都のリプトンは、喫茶業界において先頭に立ち、かつてない喫茶文化を築きあげた瞬間でもありました。 1960年代半ば、リプトンのロイヤルシリーズとして、ロイヤルプリン、ロイヤルシュー、ロイヤルエクレア、 ロイヤルショートケーキ、ロイヤルミルクティが誕生します。
紅茶に合うデザートとして、人気を博したロイヤルシリーズは、 昭和48年2月、ロイヤルプリンが 総理大臣賞を受賞。 そして ロイヤルミルクティは、のちに大ブームを起こすこととなるのです。 『人にとって、いちばん大切なものが信用です』ひたすらに信用第一を信条として、昭和5年の「本日開店」以来、 兵蔵が生涯 貫いた「本日開店のこころ」は、今なおわたしたちの心に生き続けています。
「本日開店のこころ」 願わくばいつでも「本日開店」の気持ちであってほしい。 誰しも開店の当日は最高に店をきれいにするでしょう。 お客様に対して百パーセント愛想よく接するでしょう。 そして提供する商品の味にも万全の力を注ぐでしょう。